【函館市】「徳川幕府、幕末の見果てぬ夢の象徴。春は北海道屈指の桜のスポットとして定評あり。」
更新日:2023年4月5日
五稜郭は江戸時代末期に徳川幕府により建造された星型城郭です。
星型城郭は防御する側からの死角が少ないことから、主にヨーロッパで普及していました。
函館港が開港された当初に箱館奉行所の移転先として設置。
しかし1866年の完成から2年後に幕府が崩壊し、箱館戦争で旧幕府軍に占領され本拠地とされました。
明治になると城郭の一棟を除いて他は解体た後、1914年には五稜郭公園として一般開放され、以後市民の憩いの場として函館の代表的な観光地となっています。
函館区長の申請が通り晴れて公園に!名物の桜は地元メディアの函館新聞が植えた
1913年に函館区長の北守政直が陸軍大臣に五稜郭を公園として欲しいと請願をしました。
陸軍からは条件付きで許可され、翌年五稜郭公園として開放されました。
その後、函館新聞が1913年から10年間かけて数千本のソメイヨシノを植樹したので、現在は道内有数の花見の名所となっています。
1964年には五稜郭築城100年を記念し、高さ60mの五稜郭タワーが開業しました。
その後1970年からは毎年5月に「箱館五稜郭祭」が開催され、箱館戦争の旧幕府軍・新政府軍に扮した「維新パレード」などが行われるようになりました。
2010年に復元された当時の外交の要所、『箱館奉行所』
函館市では1983年から五稜郭を復元の一環として奉行所の発掘調査を開始しました。
2000年には「箱館奉行所復元構想」を策定し、その後2010年に復元工事が完成し、7月29日に開館しました。
箱館奉行所は江戸時代後期に設けられた江戸幕府の役所です。
18世紀後半、鎖国をしていた日本沿岸に外国船が接近する事件が多発していました。
そこで、幕府が外交に直接関われる奉行所を函館山の麓に設置したのが始まりです。
そして1853年ペリー艦隊が浦賀に来航すると、翌年日米和親条約が締結され、下田と箱館を開港することになりました。
ペリーが箱館を去った翌月、現在の場所に箱館奉行所を復活させ、箱館から周囲5~6里を幕府直轄地としました。
こうして箱館奉行所は外交の重要な窓口となりました。
五稜郭公園のアクセス・行き方
五稜郭公園は『五稜郭タワー』と密接しているため、セットで観光するのがオススメです。
JR函館駅からは車で13分、そのため徒歩で行くのは大変です。
その他バスや路面電車などで気安くアクセスすることができます。
春は桜、冬はライトアップなど四季折々楽しめる五稜郭公園
五稜郭は春は桜の名所、冬は堀がライトアップされます。また、5月下旬は藤棚が見頃となります。
併設されている五稜郭タワーからは四季折々の五稜郭の美しい五芒星を眺めることができます。
『#五稜郭』みんなの投稿
【五稜郭公園の桜】
花見の名所である五稜郭公園では、星形の城郭一面において約1600本の桜が咲き誇り、夜間にはライトアップもされますので、花見の季節にはお勧めです。#五稜郭#函館#花見 pic.twitter.com/VPgPrRQJL4— 北海道LOVERS (@hokkaidolovers_) July 12, 2021
そいえば最終日(?)は結局五稜郭公園いきました(*´ω`*)/
天気良すぎて汗かきながら楽しかったなぁ。
今度はゆっくりまわりたい pic.twitter.com/VDZHql0Jsm— かおりん (@mada_ikemasu) July 13, 2021